想い出のジャパンC 血が紡いた父子のJC物語

世界の壁を感じた第1回ジャパンC―。それから3年後、無敗で三冠に輝いたシンボリルドルフの参戦に、「日本馬初の勝利はこの馬だ!」と信じた吉沢譲治が当時の記憶をたどる。

血統評論家で知られる吉沢譲治が、シンボリルドルフへの自身の想いを呼び起こすとともに、ジャパンCにおける血統の神髄を語ります。ルドルフとトウカイテイオーが紡いだ快挙の裏側には、「血統」の快挙も潜在していた。父子が生んだ軌跡を、映像とともに堪能してください。

ルドルフこそが史上最強馬

私がサラブレッドの血統に興味を持ったのは、1983年、ミスターシービーが三冠馬に輝いたときだった。翌年、2年連続で誕生したシンボリルドルフには、血統の奥深さを教えられた。

シンボリルドルフ

所属
美浦・野平祐二厩舎
父名
パーソロン
母名
スイートルナ
戦績
16戦13勝(海外戦績含む)
主な勝ち鞍
皐月賞、日本ダービー、菊花賞、有馬記念(84年)
天皇賞・春、ジャパンC、有馬記念(85年)

ドイツ王・神聖ローマ皇帝ルドルフ1世にちなんで命名されたシンボリルドルフは、2歳の夏にデビューし、そこから無傷の8連勝で三冠馬に輝いた。野球やサッカーのスーパースターがそうであるように、競馬のスーパーホースも早熟が才能の前兆であることが多い。シンボリルドルフも2歳の早くに仕上がって大物の片鱗を見せ、走るたびに新たな才能を披露していった。

ミスターシービーが三冠馬に輝いたのは、シンザン以来18年ぶりのこと。サイクル的に次は20年は先と思っていたから、立て続けに出て驚いたものである。だが、その強さはミスターシービー以上だった。これならジャパンCも勝てると真剣に思った。セカンドクラスの外国馬に日本馬が惨敗した、あの1981年の第1回ジャパンCほど屈辱的なものはない。日本馬は永遠に勝てないのではないかと落ち込んだものである。だから、その3年後に登場した無敗の三冠馬シンボリルドルフに、期待しないではいられなかった。

1984年 ジャパンC

84年ジャパンC

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しかし、この時代のジャパンCは菊花賞から中1週というローテーション。皇帝といえども、これはさすがに厳しかった。おまけに下痢で体調に不良をきたし、ベストの状態ではなかった。それでも関係者が挑戦させたのは、その前年の第3回ジャパンCで、キョウエイプロミスが2着に入っていたことがあるだろう。こと日本の土俵で戦う限りでは、血統がどうであれ、外国馬と互角に戦えることが証明されていたのだ。

事実、この1984年の第4回ジャパンCは、カツラギエースがまんまと逃げ切り勝ちを収め、記念すべき日本馬の優勝第1号となった。後続が甘くみて楽に逃がしたことが勝因に挙げられるだろう。シンボリルドルフはイギリスから参戦したベッドタイムにも先着されて3着に終わり、連勝記録はストップした。記念すべき日本馬の優勝第1号は、シンボリルドルフであってほしかったというのが本音である。何だか夢をぶちこわしにされたような気がして、カツラギエースの勝利を素直に祝福する気になれなかった。

1985年 ジャパンC

85年ジャパンC

だが、それも翌1985年の第5回ジャパンCで吹き飛んだ。欧州のゴールドアンドアイボリーら一流馬が多数参戦してきたが、シンボリルドルフは日本の競馬ファンの絶大なる支持を受けて1番人気に推され、堂々の横綱相撲で戴冠のゴールを駆け抜けた。8戦不敗で三冠馬に輝き、有馬記念を2連覇、春の天皇賞とジャパンCで見せた完全無欠のレースぶり、その強さ、隙のなさは憎たらしいほどでもあった。

同時に素朴な疑問が残った。日本の在来血統は劣るというが、果たしてそうなのか?という疑問である。シンボリルドルフの父パーソロンは日本だけで成功した血統だった。母系も在来色が強く、母の父スピードシンボリも内国産種牡馬だった。もしこれらの血統が本当に劣るのであれば、地の利だけで勝てるものではない。

ところが皮肉なことに、以後、日本馬はさっぱり勝てなくなった。その低調ぶりは第1回ジャパンCの暗黒の時代に逆戻りするかのようで、そうなると弱い原因はやっぱり血統ということになる。おかげで古い血統が捨てられ、新しい流行の血統が輸入される流れが増長していった。

トウカイテイオー

所属
栗東・松元省一厩舎
父名
シンボリルドルフ
母名
トウカイナチュラル
戦績
12戦9勝
主な勝ち鞍
皐月賞、日本ダービー(91年)
ジャパンC(92年)
有馬記念(93年)

そこに待ったをかけたのが、シンボリルドルフの初年度産駒トウカイテイオーである。母系は戦前から続く在来牝系で、今にも消滅しそうな細い細い運命の糸を、かろうじてつないできた血統だった。この内国産色が色濃いトウカイテイオーが、1992年の第12回ジャパンCで世界の強豪を相手に勝利し、父シンボリルドルフが勝った翌年から6年続いていた日本馬の連敗記録にストップをかけたのである。

1992年 ジャパンC

92年ジャパンC

この勝利を機に日本馬は盛り返し、以後、互角どころか優位な戦いを展開するようになっていく。ジャパンC史上初の父子制覇も快挙だが、沈みかけていた内国産血統、戦前から続く在来牝系の夕日を、昇る朝日に変えたトウカイテイオーの功績も計り知れない。

あのシンボリルドルフのジャパンCから22年。この間に幾多の名馬が誕生し、ディープインパクトという史上最強馬も誕生したが、シンボリルドルフこそ我が心の史上最強馬という思いは、今も変わらない。生まれたてのヒヨコは、初めて見たものを自分の親だと思いこむらしい。私にもそんなところがある。競馬を知り、夢中になったときに出合った名馬を、永遠に最強馬と信じていく。だからこそ過去の名馬も、競馬も、将来に語り継がれる。競馬はそれでいいと思う。

吉沢譲治(よしざわじょうじ)

血統評論家。「最強馬伝説」「競馬の血統学」「最強の血統学」など、血統にまつわる多数の著書を執筆。携帯サイト・競馬総合チャンネルで「血統コラム」を連載中。


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